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隣人。

  • 2007/09/08(土) 22:50:08

隣の人はチベット人。
仏教徒でいらっしゃいます。

日に2回、ドラムと共にお経が聞こえてきます。

しかし、気さくな方たちで、たまに家に遊びに来ます。

面白いほど明るい人。

ウチにある前の住人が残していったフラフープで遊んでみたり。
チベット語の隠語を私に言わせて、ゲハゲハ笑ったり。

たまに、食事一緒に食べないか、と言ってくれて、餌付けされつつあります。

毎日会話を交わさないことはありません。

この間、ウチに遊びに来て、仏教の事を少し、語ってくれた。

仏教の人が崇めてる仏像や絵、そういうモノは、人間の表情である。怒ってる表情、穏やか表情、焦燥感にあふれてる表情、そういうモノは、人間の心を表してる。

人間がベース。

だからいくら、仏に救済を求めても助けてはくれない。
仏教はもともと人生をよりよく健康的に過ごすための単なるガイダンス。

一心に願ったって、それは単なる他力本願。
自分でなんとかしないといけない。

それが一神教との違いだ、と。

現代社会、色々なストレスに悩ませられてる。電話料金、人との繋がり、学校、職場、金銭問題。

じゃ、他力本願じゃなくて自分でなんとかするにはどうしたらいいか。

そういう悩みを自分で消化するには、瞑想が必要である、と。


瞑想と言えば、ちょっと聞こえが悪いけど、要するに、自分と向き合って考える時間を作れ、と。

考えてみれば、私も瞑想めいた事はしてるなぁ、と。
だからいつまでも、意外とポジティブに生きてこれた。

なんとかなる、って思ってる。

でも、私は座禅を組んで、一時間じっとしてない。

じゃ、何をしてるかというと、絵描いてみたり、字書いてみたり、お花を生けたりとかしてるわけだ。

そういう時間は自分と向き合っていられる。

そういう事は人生にとって大切なことだ、と。

お隣のチベットの僧は言ってた。

あぁ、なんだか、make senseするなぁ、と思った。

私は日本人。仏教徒?と言われる事が多い。
「いや、違うなぁ」と今まで答えてきたけど、あながち否定できないなぁ。

自分の生活、経験、なによりも日本で育ってきた、って事自体、仏教、神道の影響は自然と私自身の中に入ってきてる。

お盆はお迎えするし、御朱印帳に朱印集めてる。日本に帰ったときには、お線香だってあげる。

それは小さい頃からやっていた事で、とりあえず、大人がやってるからマネしよう、と思った。

でも今はご先祖様がたぶん見守ってくれたりとか、するのかなぁ、と思ったりもする。

それに、私が生きてるって事は、ご先祖様が生きて、私に血を分けてくれた。今こうして色んな経験しているのは、ご先祖様が生きてたからこそ。

お墓参りとか、お線香は、ご先祖様に対しての感謝、かな。

そういうのってたぶん宗教だよね。

でも私の場合、信仰心が浅い。

仏教、松井は日蓮宗なわけだが、日蓮宗の理なんか、一片も知らない。
 
元旦にはお宮参りする。やばい運が無いと思ったら、神社でお払いしてもらおうかしら、とも思う。


そういうのって半ば文化の一種とも言えなくは無い。
面白いもんだね。

カテゴライズしなくても、まぁ、いっか。
今現在楽しく暮らしてるわけだしな。

チベット人の隣人が語ってくれた事で、そういう事を考えてた。

ちなみにそのチベットの僧は、踊る僧です。
やたらクラブに詳しい。あそこは、CUの学生が行くトコで、こっちは年齢層が若干あがる、とか。

「え、クラブ行くの?」
「行くよー」

普段は僧衣着てるのに、面白い人が隣人になったなぁ。
今度、お味噌汁とお寿司の作り方を教えます。

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