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パパへ。

  • 2006/08/28(月) 14:50:09

一番記憶に残ってるのは、毎週日曜におじいちゃんの家に行く事でした。

「よくきたな?」って皺をもっと深くして笑っていた小学生の頃。たまに居間の隣にお布団を敷いて泊まる日には、おじいちゃんがサンドイッチと珈琲を青い芝の上にテーブルとクロスでブランチを用意してくれました。

「どうしてそんなに皺があるの?」「のっぺらぼうっているの?」そんなことを聞く私に笑っていました、気持ちのいい、笑顔でした。

応接間にはフルート、電子サックス、オルガン、そして大きな鯨の絵。引き戸の中にはタスマニア物語が入ってました。いろんな所を開けたり触ったりしていたのに、自由に遊ばせてくれた。

おじいちゃんは私や姉を叱った事がなかった。せっかく干していたカーペットを水浸しにしちゃった時も、叱咤しなかった。

弟が生まれた時には本当に嬉しそうだった。おじいちゃんが呼ぶ「麟太郎」っていう言葉は耳障りが良かった。

おじいちゃんの家の隣に引っ越してきた時は毎日家へ遊びに来て、鯨の話をしてくれたり、ASUKAの話をしたり、船で帰ってきた時のイクラの美味しさを語ったり、珈琲を本当に美味しそうに飲んで、CABINをうまそうに吸っていました。

お父さんと弟の名前が区別できなくなってきた時、私はおじいちゃんとどう接したらいいか分らなくなった。おじいちゃんを小さい子のように接するのが嫌だった。弟とあっちむいてほいをしてる時、実は、あんまりいい心地はしなかった。

だんだん小さくなるおじいちゃんと、だんだん大きくなる私のギャップに辛いと感じる時があった。

おじいちゃんが入院してから私は三回しかお見舞いを行ったことがなかった。
今年の夏にお見舞いにも行かなかった。行けなかった。私の事がわからないおじいちゃんにどう接すればいいか。呼んでも答えてくれない。ただ、息をして眠ってるおじいちゃんを直視できなかった。

でも、おじいちゃんのことは大好きだった。
サンドイッチの味、珈琲をすする時の顔、鯨の話、全部全部好きだった。
おじいちゃんはいつでも優しかった。

死んだ人は、最後に会いたい人へ飛んでいけると聞きました。
「パパ」って呼んでみたけど、来てくれるかな。

イチジクが好きだったなぁと思い出してアジアンマーケットへ行ったけどなかったよ。だから代わりにナシを買ってきたんだ。珈琲も置いてあるよ。
おじいちゃん、私おじいちゃんの孫でよかったと思うよ。パパの事、思い出すよ。忘れないよ、絶対。アメリカ、ちょっと遠いけど、寄ってくれる嬉しい。

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