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蛙。

  • 2007/03/06(火) 15:04:16

今日、外で蛙の声を聞きました。

「ゲコッゲコッ」

なんだか、懐かしい感じがしました。

初夏の田んぼの夜道を一人チャリで走ってる頃。
なんにも心配や不安を抱えずに、ただひたすら、走ってた時。

青々とした稲穂が風に揺れるのをみて、
風って形があるんだな、と単純に思ってた頃。

英語の時間に「ブッダ」読んでて、怒られた頃。

ちいさな事が大きな問題だった頃。

人間一人一人、人生を持ってるんだと確信した時、何故か感動してないた3?Fの教室。


そういう若かりし頃の記憶が薄れてしまうのが少し怖いと思った。

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エロス。

  • 2007/03/04(日) 23:47:15

今日、San Francisco Museum of Modern Artへルームメイトのローレンと行きました。

感想。 ちょっとエロくて切ない。

アートってワケわかんないの多いじゃない。
だって、画を描くのって、何かを表現する事だと思うのね。
伝えたいものがある。だから筆をとる。
理解しがたい画であるほど、エロスを感じてしまう。自分の欲求のためにがつがつ肉体をむさぼる、どSみたい。だって私、そういう絵のコンセプトがわかんないんだもん。他人の理解を無視してるわけでしょ? なにかを“表現”してるのに、わけがわからないなんて、超どSじゃない。

き、きらいじゃない・・・そういうの。

人間って三大欲求がある。睡眠、食欲、性欲。でも性欲だけは他人が必要なわけで。

なんか、アートは自分一人では成り立たないと思う。描く人と見る人がいる。それは恋愛にも言える事で、好きになる人と好きになられる人がいる。
まぁ、恋愛と性欲はかなりリンクしてるしね。

恋愛はありとあらゆる手法で、自分がどれだけ求めてるかを、表現する。「愛してる」「いとおしい」「切ない」をas much as possibleで伝えたい。

アートって恋愛だなぁ。その必死さ。

モダンアートは写真展よりもエロさを感じた。アートは内なるものを吐き出す作業だと思う。写真は実際に目に映るものを写してるわけでしょ?物理法則は無視できないはず。でも頭ん中は法則ない。

絵を描くってなんでもありで。
写真よりも自由な気がする。でも、面白い事に、あんまり自由だとワケわかんなくなるよね。
物理法則を無視できないっていう点では写真はある程度自由の規制かかってるから、わかりやすいんじゃないかな、絵よりも。

“自分”の絵を描くって事は自分をとことん追及して、分析して、限りなく近い自分の内なる感情を表現する作業だと思うのね。だから他人に理解できない。

服、下着のもっと内側のモノを表現するわけだから、ずっと恥ずかしい。


自分も絵を描いたりするけど、何かの絵や写真を基にしてちょこっと色で遊んだりする程度なんだけど、法則もパターンも無視して描いたことがない。描くって事は誰かに見られる前提なので、レールから外さないようにする。誰かに見られる事を前提に、褒められたい、すごいって言われたい、そういう欲もあるし、同意をしてもらいたい、だから出来るだけ、理性を保って他の人にもわかりやすく描こうとする。他人とシェアしたいと思う。“見せたい”ってのが根底にあるわけだよね。

私の絵はちょっとブログとかに似てるかな。日記を公開するってのは他人のリアクションや同意、同情を求めてる場合もある。本当に日記書いているんだったら、カギ付きの日記帳でも買って、書けばいい。でも露出したいから私はブログに日記を書く。

なんて言ったらいいんだろうな。わけわかんないアートを見てるとすごく考え込んじゃうのさ。

どういう気持ちで、描いたんだろう。何がテーマなんだろうって。
だから、色使い、パターン、筆圧、細やかさ、大胆さ、そんなんで、限りなく描いた人の性格とかを分析し始めるんだけど、どれだけ考えてもやっぱり分らないのね。本人じゃないからさ。ああ、本人にしか分らないのね、と。


他人に理解できないような自分の感情をキャンバスにぶつけて。でもそれをゴリ押してまで他人に公開する。その強引さがたまんない。


何かを伝えたい事があるとき、私は表情や体を使って何万個っていう言葉を使って表現する。

例えば、「いとおしい」という感情を表現するとする。
いつ、どこで、だれと、どんな、を説明しなきゃならない。言葉だけだったら、100%伝わらない。頭の中を割って見てくれ!といいたいほど、難しい。私が「いとおしい」と思ったときは、この場所で、この人と、この服を着て、この匂いで、この日の光ぐあいで、ってものすごくspecificなわけさ。でも、リアルに画を描けば、それを完璧に伝える事ができない。だからあらゆる手法を使って表現しようとする。私が感じた五感そして六感を詰め込む。それを一枚の画にしたとき、「はぁ?」って思うと思うのね、個人的な「いとおしい」なわけだから。 


それに

ピカソの絵とか、1901年とか表記されてるのね。
なんだか不思議な感じ。

百年前の人が、筆をとって、一心不乱に、悩みながら、なにかのフィロソフィーを抱きながら描いた絵を見ることが出来るのって不思議な感覚。100年経っても直接触って見ることのできる感情の塊。

アートってすごい。

グダグダ文章。

  • 2007/03/02(金) 16:40:08

「産む機械」に例えた柳沢伯夫厚生労働相の発言が結構世の中を揺るがせてると聞きました。プラス、佐賀県市長が配偶者の呼称についての条例、女性配偶者を「オイ」「ワイ(方言でおまえの意味)」と名前なしで呼ぶのを禁止しよう条例、を今日ちらっと見たんす。   面白いな、と思った。

どこまでメディアが取り上げて、どれだけヒートさせているか皆目付かないが、たぶん相当熱い議論を交わしてるのだろうと仮定した上で打たせていただきます。



報道って、どっかこっかのフィルターや個人的な意見を通して流されると思う。

柳沢さんの女性を批判するような発言は事実だと思うし、Ouch! だとは思う。 そりゃ叩かれるわぁ、と思う。 

でもYahoo!Newsとかに書かれてる事って、どういうわけか、どういう経緯でそれを発言したのかが、よく書かれてないと思う。 何かを伝える為に、訴える為に使った言葉が「女性は産む機械」だったんだと思う。女性は産む機械っていう事を言うために発言したんじゃないよね。少子化の問題がメインだったと思う。
けれど、「産む機械」という言葉だけをピックアップすると聞こえは悪い。(いや、実際“女性は産む機械“は、むかっ腹立つ no matter what)

でも、本来のコンセプト、少子化問題も、取り扱ってもいいんじゃないかな、と思う。色んな報道の仕方もあっていいと思う。

なんだか、森さんの「神の国」発言に似通ってる気がする。

森さんの「神の国」の時に当時私は、「あー・・・こりゃいかんわぁ」と憤りを感じたものです。 皆が皆、こりゃイカンわぁ、と思ったはず。少なくとも大多数は批判的な意見をもってたと感じます。

さてどうしてか。

TVでさ、街頭でインタビューするじゃない、「この森さんの発言についてどう思いますか?」って。 道端にいらっしゃる主婦の皆様、サラリーマンの方のインタビューは大抵が批判的な事をいうじゃない。賛成意見もあるはずなのに、やっぱり少数派の意見はそこまで取り扱われないじゃない。“大多数”の意見だからさ。10人インタビューしたら、1?2人ぐらいは、「神の国は別にいいんじゃないの?」というアンサーはあるっしょ。でも、それをあえて放送しなかったりするじゃない。 だからお茶の間に座ってる私たちは、皆こう思ってるから正しいかもーってなる。そういうのはあるよね、絶対。

だもんで、私たちは情報操作で踊らされた気がする。
森さんを批判しよう、みたいな動きだったような気がする。
総理に就任した時の報道の仕方とか、今思えば、変だよな。

未だに覚えてるんだけど森さんが就任した時のニュースで、森さんの家族のリアクションが流されてて、奥さんがお子さんに、「ほ?ら、パパが総理大臣になったよー」ってシーンがお茶の間に流れてたのさ。私と母親は「なんかそういう風にお偉いポストに付いた事を自慢してるみたいで、いや?ね」と話してた。 

でも今は
別にいいじゃないかい。そこのポストに付くのは誉れじゃないのかい。
奥さんのリアクションは普通じゃないの、と。

おまけに、報道陣はプライベートな家族の画を写さなくてもいいじゃな?い。

そういう事を流すっていう事は、誰かが仕組んだ事かもっていうのは拭い切れない。
なんだか情報操作で支持率低下を招いたり、発言を失言として取り上げたりとかしたんじゃないかな、と今はそう思う。

小渕さんが亡くなって、森さん、君、lucky you! みたいな皮肉もあったかもしれない。

メディアって怖くて、読む人を丸呑みしてしまうほどの力があると思う。だから、100%信じちゃいけないんだろうな、と思う。友達はいつも私に、「ニュースは疑ってかかれ!」と。

だからといって、柳沢さんをフォローしてるんではないのさ。やっぱ、あの発言はダメダメだよ。
でも報道のあり方はもっと幅広くできないのかな、って話なんだけどね。

そこでだ。

佐賀県市長の配偶者の呼称については柳沢の意見と真逆じゃない。メディアを疑った目でみると、市長さんの条例提案はCould beいい人アピールだけなのかも。 捻くれている意見だけど、あるっちゃある。

でも、市長が、柳沢さんの事に対して、女性をそう思っちゃいけない、っていう反論としても伺える。

個人的には後者であって欲しいと。 



こうやって、報道をバッシングしてきたけれども、いい面はあります。

話し合いの場に男女の差別の問題が上がるって事です。
こういうトピックは皆で話し合うべき問題だからね。たくさんの人に熱弁を振るって欲しいと思います。 

あー!!! もう何打ってるんだかわかんなーい。

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